<海外選手・レジェンド版>

<1990年代以降・海外選手>

マイク・タイソンf0050112_1662345.jpg
レノックス・ルイス
イベンダー・ホリィフィールド
兄ビタリ・クリチコ
デビッド・ヘイ

ロイ・ジョーンズ・ジュニア(米)
ジェームズ・トニー(米)

ダリウス・ミハエルゾウスキー(波)

ジョー・カルザゲ(英)

バーナード・ホプキンス
ジェラルド・マクラレン(米)
ジュリアン・ジャクソン (米)
ナイジェル・ベン
ウィリアム・ジョッピー(米)

フリオ・セサール・バスケス(亜)
テリー・ノリス(米)

シェーン・モズリー(米)
フェリックス・トリニダード(Pr)
オスカー・デ・ラ・ホーヤ(米)
アイク・クォーティ(ガーナ)

フリオ・セサール・チャベスSr(メ)
コンスタンチン・チュー(露/豪)
ファン・マルチン・コッジ(亜)

ザブ・ジュダー(米)
パーネル・ウィテカー(米)
ヘクター・カマチョ(Pr)

アセリノ・フレイタス(伯)
ホアン・グズマン(DOM)
アルツロ・ガッティ(米)
ジョンジョン・モリナ(Pr)
エドウィン・バレロ 27戦27勝27KO
ラクバ・シン(モンゴル)
ヘナロ・エルナンデス(米)

ファン・マヌエル・マルケス(メ)
マルコ・アントニオ・バレラ(メ)
エリック・モラレス(メ)
ジョニー・タピア(米)

ナジーム・ハメド(英)
クリス・ジョン(イ)
ルイシト小泉(比)
フレディ・ノーウッド(米)

セレスティーノ・カバジェロ(パナマ)
ウィルフレド・バスケス(PR)

イスラエル・バスケス(メ)
ダニエル・サラゴサ(メ)

オルランド・カニザレス(米)
ウィラポン・ナコンルアンプロモーション(泰)

ジェリー・ペニャロサ(比)

ポンサクレック・ウォンジョンカム(泰)


チキータ・ゴンザレス
ロセンド・アルバレス(NIC)
レオ・ガメス(VEN)
ホルヘ・アルセ(メ)
マイケル・カルバハル(米)


白 仁鉄

張 正九
柳 明佑


リカルド・ロペス プロアマ92戦無敗
チャナ・ポーパオイン(泰)
ラタナポン・ソーウォラピン(泰)
.
.
後日、選手追加予定
.
.
.
.
.
.
<1980年代以前・海外選手>

ジョー・ルイスf0050112_14422868.jpg

モハメド・アリ
ジョー・フレージャー
ジョージ・フォアマン
ラリー・ホームズ
.
マービン・ハグラー (2)
シュガー・レイ・レナード
ヒットマン・トーマス・ハーンズ
マイク・マッカラム
ロベルト・デュラン

ドニー・ラロンデ
ジョン・ムガビ
デビー・ムーア(米)
アユブ・カルレ(ウガンダ)


ピピノ・クエバス
ドン・カリー
.
アーロン・プライアー
怪童ウィルフレド・ベニテス
怪物センサク・ムアンスリン(泰)
キッド・パンベレ
ニコリノ・ローチェ(亜)

アレクシス・アルゲリョ (2) (3)
レイ・マンシーニ
.
ブライアン・ミッチェル(南ア)
サムエル・セラノ(PR)
ベン・ビラフロア(比)

サルバドール・サンチェス (2)
エウセビオ・ペドロサ(パナマ)

アズマー・ネルソン
ダニー・ロペス


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# by withlove777 | 2015-03-01 20:00 | BOXING EYE | Comments(0)

””大場政夫””44年前の今日・1月25日午前10時36分


 ファイティング原田が引退した10ヵ月後、
 沼田義明、小林弘、西城正三ら
 3名の世界王者がいる中で、
 彗星のごとく現れ、
 スリリングなファイトを展開。
 ファンを熱狂させて、
 瞬く間に去っていったボクサーがいた。

 こちらの写真にある狂気の形相で敵に襲い掛かる選手が、
 その当人だが御存知だろうか。
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 彼の名は ”大場政夫”
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 永遠の世界フライ級チャンピオン。
 世界戦通算6戦全勝。
 終身戦績38戦35勝16KO2敗1分


 負傷し、足を引きずりながらも、獣のように闘った。
 不世出の狂熱のボクサー。

 今のボクサーには絶えて見られない、
 悲壮なまでに対戦相手に挑んでいく一種狂人にも思える殺戮ファイトだった。
 
 狂躁の時代を駆け抜け、
 23歳、
 純白のスーツを身にまとい、首都高速に消える。


           42年前の今日
           (1973年1月25日)

           世界王座五度目の防衛成功の三週間後、
           23歳の若さで夭逝・・。

           ―日本ボクシング史上、
           最も悲惨な事故 
           と言っていい、激しく哀しい出来事・・。

           その栄光と疾駆の生涯はあまりにも儚すぎる・・・。

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◆昭和24年(1949年)10月21日
 東京の下町(墨田区)に5人兄弟の真ん中として生を受け、
 貧困の極みの中に育ち、
 痩せ細るひとりの16歳の少年・大場政夫が
 昭和40年(1965年)6月1日、
 ボクシングジムの門を叩いた。

 住んでいた長屋は、
  壁の隙間から冷風が絶えず吹き渡り、雨漏り酷く、
  身の軽い政夫が修理に天井に登ると、
  軋みの音と共に瓦ともども落下。
  天井はポッカリと穴が空き、月が毎晩見えたという。
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 暑い時期には、好きなプールに行くにもプール代30円が無かった。

 大場は、昼は御徒町の菓子問屋で働き、合宿所に住み、
 ボクシング世界王者を夢見る
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◆大場の世界王者に至るまでの拳歴
・1966.11月 デビュー戦を48秒KOで勝利
  デビューから4連続KOし6戦全勝。
  6戦目の試合は国技館で藤猛がロポポロをKO奪取した前座に出場。

・大場は、相手場所を選ばず「常時強豪と戦い続けて」勝ち続けていく。
 <世界挑戦までに勝利した主な相手>
 1968.10月 ○鳴海勇三(無敗で引退した田辺清が唯一引分) 10R判定
 1969.03月 ○スピーディ早瀬 当時日本王者(2度獲得)10R判定3-0
 1969.05月 ○松本芳明  元日本王者   10R判定6.5.4差3-0
 1969.06月 ○サクデノイ  当時タイ王者  10R判定3-0
 1969.08月 ○中村剛 当時東洋王者V9  10R判定8.7.7差3-0

 更に、
 1969.12月 海老原から奪取した世界王者バーナベ・ビラカンポ(比国)左 
 をノンタイトル戦で撃破 10R判定4.2.1差3-0


 これにより日本⇒東洋⇒世界と連破しての”完全なる世界1位”を手中にした。

  1970年、”世界1位大場”は、
   3月にのちの比国王者、
   6月はメキシカン
  を下し、
  次の29戦目で世界王座挑戦に漕ぎ着ける。

  昭和45年(1970年)10月22日、両国日大講堂
  WBA世界フライ級タイトルマッチが行われた〔観衆7500〕。

  昭和24年(1949年)10月21日に生まれた大場にとって
  21歳の誕生日の翌日だった。

  大場政夫は、
  ビラカンポを2-1で破った新チャンピオンベルクレック(タイ/中国)
  (25勝1敗3分)を圧倒。

  13R2分16秒、
  血まみれの王者をKOで葬り、頂点に上り詰めた。
  王者になる過程からみても、正に”磐石の世界王者奪取”


 第25代WBAフライ級チャンピオン誕生は
 同時に日本では白井から数え、8人目となる世界奪取となった。 
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世界奪取ベルクレック戦後インタビュー


★大場のフィジカル
 大場は
  激しい気性
  闘志、
  センス、
  勇気、
 はもちろんのこと、
 鍛え抜かれた理想的な身体を併せ持っていた。

  フライ級では大柄の身長168cmリーチ170cm。
  これは、
  マニーパッキャオ
  (フライ級(約50kg)からSウェルター(約70kg)の6階級制覇)
  と同じフレーム。
  フライ級で大柄の部類だった亀田興(身長166リーチ168)より、
  それの更に一回り大きい体型である


 すらりと伸びた体型にはミッシリ筋肉がついた上体を誇っており、
 さらにバネのある長い脚。
 恵まれたリーチを生かしジャブを駆使し、
 綺麗なワンツーを打ち込み高速のショート連打を振り翳した。
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 大場は背筋の発達も見逃せない。
 ストレート系統のパンチを充分に鍛錬を積み重ねた証である。
 そこから繰り出される容赦のないパンチの嵐により、
 歴戦の強者たちは堕ちていった。
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★日本人最多防衛タイ記録
 世界王者となり、「フライ級王座5度防衛」は、
 日本人最多防衛タイ記録(内藤が5度)で未だに破られていない。

★一流の対戦相手
 大場は世界のベルトを5度防衛&通算6勝したのは偉大であるが
 それだけではない。

 その対戦相手も一流ばかり。
 ・5度のうちの3名は、世界王者(ベツリオ、花形、チャチャイ)。
 ・残りの2名は、対戦時1位の指名挑戦者(カバネラ、アモレス)。


 奪取 王者ベルクレック(タイ・25勝1敗3分)   13RKO2’16”(10.9.1差)
 V1  2位ベツリオ(ベネズエラ・25勝2敗1分) 判定15R3-0  2.1.1差
 V2  1位カバネラ(比国・35勝5敗2分)   判定15R3‐0  11.10.9差
 V3  4位花形進 (日本・29勝9敗9分)  判定15R2‐0  5.4.0差
 V4  1位アモレス(パナマ・27勝1敗)      5RKO 2’00”(3.2.1差)
 V5  2位チャチャイ(タイ・57勝14敗3分)  12RKO3’00”(5.4.2差)
  
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 さらにそれだけではない。
★無冠戦でも世界ランカー4度撃破
 大場は、
 5度防衛する合間にノンタイトルで世界ランカークラスと4戦して4勝している。
 しかも米国テキサスまで出向き、この敵地で、
 世界9位ロッキーガルシア(米)に逆転KO勝利の試合を演じている。
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 ノンタイトルではさらに、
    世界2度挑戦 フリッツ・シェルベ(スイス)
    世界10位 トニー・モレノ(米国)
    世界5位 ナタリオ・ヒメネス(ドミニカ)
 らにも快勝。
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     今現在だけでなく、
     古今において日本選手で、
     「世界王者が、ノンタイトルで、世界ランカーと戦いまくる選手」
     はいない。


 しかし大場は、
 5度防衛に加えて今で言えばスーパーフライ級のウェートで4勝。
 つまり世界挑戦した試合から含め、
 世界の舞台で10戦10勝していたことになる。
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 (上の写真の左側は桑田トレーナー。右側は帝拳・本田明彦会長。
 同氏はまだ立教大生だった頃に、
 先代の実父本田明会長急逝により会長に就いている)



★年間表彰者の常連
 大場は、当然ながら年間表彰の常連だった。

  1969年 年間殊勲賞受賞
  1970年 年間技能賞受賞
  1971年 年間MVP受賞
  1972年 年間MVP受賞&年間最高試合賞受賞
  1973年 年間最高試合賞受賞


  1971年は、年間5試合(世界戦2試合、無冠戦3試合)を行い、
   ベツリオ、カバネラ、テキサスでのロッキー戦等に勝利しMVP受賞。  
  1972年は、花形に雪辱し、黒い恐怖アモレス(27勝1敗)を逆転KOし、
   年間最高試合とMVPの二冠獲得。
  1973年は、タイの英雄チャチャイに初回ダウンを喫して
   右足首痙攣&捻挫の負傷ながらも12R逆転KO。
   この試合もこの年の年間最高試合となる。

 まさに「逆転の貴公子」たる壮絶な死闘の数々。


◆慟哭
 そして二年連続年間最高試合賞受賞となるこのチャチャイとの死闘で、
  5度防衛&19連勝を果たした23日後、
  悲劇というような言葉では言い尽くせないほどの、
  慟哭と悲哀にうめく嗚咽が全国で沸き起こる異常なる大衝撃が起こる。

  時代の先端に立って、日本に3台しかなかった
  という米国ゼネラルモーターズ社製の高級外車、
  ”純白のシボレー・コルベット・スティングレイ”を
  チャチャイ戦のファイトマネーで購入。
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 1月2日チャチャイ戦激闘の11日後の1月13日にその車が届いた。

 そして、シボレーが届いてから12日後の昭和48年(1973年)1月25日・・。

この日(1月25日)は
 大場は「チャチャイ戦のあった1月2日~1月28日」の契約で、
 紀尾井町のホテルニューオータニの部屋をとっていた。
 この期間は、
 外部の煩わしさから遮断された自由な行動と空間を満喫できるよう
 にと配慮された世界王者のみに与えられた特権だった。

 1月25日午前、大場は帝拳ジムに電話をかけている。

 「少ししたらそちらに向かうからケーキでも買っていきますよ」
 妙に明るい声。
 午前10時を少し回ったところだった。

 紀尾井町のホテルニューオータニの駐車場から
 シボレーコルベットが発進された。
 数分後、竹橋ランプウェイから首都高速5号線下り路線に入った。

   大場はチャチャイ戦で負った右足首痙攣&捻挫の、
   その右足でアクセルを踏み込んでいる運転である。

 そして追い越し車線で加速。
 100キロをゆうに超えている。

 前方に新宿区小川町の通称”大曲カーブ”に差し掛かる。
 緩やかなふつうのカーブである。

   この時、大場に一体何が起こっていたのか。
   それは誰にも分からない。

 凄まじい破壊音が鳴る中、午前10時36分(発表は11時22分)、
 首都高速・池袋線の大曲カーブで、
 大場の乗った栄光のシボレーコルベットが
 高さ25cm幅80cmの中央分離帯を飛び越え、
 対抗車線からきた11トン大型トラックの前方部に潜り込むように激突。

 そして大破。

 トラックはその衝撃で1メートル以上後ろに押し戻された。
 現場に30mほど続くシボレーのタイヤの傷痕が残されているが、
 この一連の中でブレーキをかけた形跡はみられない。
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 即死
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 頭蓋骨骨折、脳挫傷、が直の死因だったが、
 他に左右の肋骨が計11本完全骨折していた。
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 事故時、
 大場がしていた時計パティックフィリップが、10時36分で停まっている。
 帝拳に電話をかけた10数分後のことであると窺える。
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 この事故の10数分前に電話で「ケーキでも買っていきますよ」
 と話したがこれが大場の最後の言葉となった。
 そのケーキは助手席に置かれていたという。


-----------------------------------

◆世界王者の孤独
 大場が世界王座を防衛し続けている頃、
 マネージャーが彼の部屋で見付けた便箋に、
 激しく何度も書かれていたという文字があった。

 「俺はチャンピオンだ。俺はチャンピオンだ。俺はチャンピオンだ。
 ・・・(何度も) 」

  ・人一倍強い自尊心、
  ・想像を絶する減量苦。
 ピラニアを飼ってそれを眺めることで、
 キラーインスティンクト(殺傷本能)を鋭利に磨き、
 世界王者の孤独と戦っていた。

 そしてリングでのまるで死に急ぐかのような捨て身のボクシングに、
 対戦相手は恐怖し、ひれ伏した。

 貰ったファイトマネーで、
   親に家を建て、
   弟の学費を全額払い、
   親と会うたびに数十万置いていったという。
 己は減量ゆえロクにおいしいものも食べることも無く・・。


 38戦目となる世界5度防衛成功で、
 初めて自分へのご褒美に、
 と購入したシボレーで起きてしまったこの惨事は、あまりにも儚すぎる・・。

 内の孤独とはうらはらに、
 大場は栄光に包まれたまま二十三年というあまりにも短い生涯を、
 脇目も振らず一気に駆け抜けていった。

 その姿は最後まで鮮烈だった。

 1970年代を飾る伝説のヒーローは、
 ”永遠のチャンピオン”として日本ボクシング界にその名を刻む。


           大場政夫、
           夭逝から42年目の今日、
           その生前の雄姿を偲ぶと共に、改めて想う。

           大場政夫の名は
           永遠に語り継がれていってほしいと。

           切に願う。




アモレス戦など映像

世界奪取・ベルクレック戦KOラウンド&試合後

V1・ベツリオ戦フルラウンド

V3・花形第2戦フルラウンド

V4・アモレス戦フルラウンド

ラストファイト
V5・チャチャイ戦フルラウンド


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# by withlove777 | 2015-01-25 10:36 | Comments(6)